かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

緋色に染まれ。

トメニア第三帝国。アーベルト=デンメルング収容所。普段鋼鉄が張り付いたようなイメージで沈黙を保つそこは、最早別の舞台と化していた。

サイレンがけたたましく唸る。血生臭い雰囲気が体に纏わりつく。現実に生きている実感が湧く。数多の獣共の咆哮は共鳴を起こす。その合唱とは程遠い音の重なりは、余計なものをかき消した。生きようと足掻く者たちを鼓舞し、それを踏んで抑えつけようとする者たちを怒りや恐れ、様々な感情で震えさせた。…我関せずという様子の者も、ちらほら見かけられた。

多くの人外、モンスターが群れを成し脱走を成功させていく。安堵に目を潤ませるもの、復讐に心を燃やすもの、楽しげな様子で足を弾ませるもの…各々がそれぞれ違う思いを胸に収容所を後にする。一度首輪を離された獣の牙の矛先は、想像に難くない。彼等が不満を持っていたならば、尚更である。

出てきたものが身に着けるオレンジの服が明かりに照らされ、より一層色濃く見えた。例えばそう、緋色のように。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「…ハァ、…クソッ!!遅かったか…!」

息を荒げながらも駆け付けた一区画には、もぬけの殻となった収容施設しかなかった。手柄を求めて他の奴らを置いて来たというのに、無駄足か。…いや。もしかしたら逃げ遅れた鈍間がいるかもしれない。そう思って、不気味な気配の漂う中へと、大きな開き戸を音を立たせ開けたまま、自分の影の伸びる先へ歩を進めた。

「…うッ…。」

思わず腕で鼻を覆ってしまうほどの悪臭。血の匂いなのか。混ぜに混ぜて何かすらも判別できないような、そんな濁った匂い。気分がどんどんと悪くなっていく。耐えながらも足を動かし、奥へと進んでいく。床や壁の木目に散る血飛沫の痕が、濃くなっていく。より赤黒く、より広く。そして、天井の戸から射す、夕焼けの光の先を見た。

 

同僚の成れの果てが、固められていた。重ねられている死骸。時間はそれほど経っていなかったのか、蠅が集る様子などは見られなかった。黒い制服に赤い血が重なり、その色は刳みを増す。目を見開き、一瞬、足が竦んだ。驚きと凄惨さに体が強張る。引き返そう、置いてきた奴らを待とう、頭の片隅で臆病な考えが過る。

しかし、言い知れぬ不自然さが漂っていた。自分のプライドが自分を許さないのか、それとも身を滅ぼしかねない興味本位からなのか、思わず、距離を縮めてしまう。様子を、確認してしまう。近づくと、何かが光を無数に反射していた。積み重ねられたそれらの上に散らばされた欠片を手にとって見れば、それは砕かれたツヴァイクロスのピンバッジだった。明確な、挑発行為。どこまで自分達を嘗めて見ているのか。先程までの恐怖心は何処へやら、怒りが頭に昇っていた。バッジの欠片を怒りのまま力強く握り締め、死体の確認をしようとする。

そして、気付く。死体が綺麗すぎるということ。抵抗した痕も、交戦し服が切れた痕も、返り血すらもない。そして全て、首を断たれているということに。有り得ない。看守をしていたのは国家保安部である。まともに戦えない訳がない。それこそ、後ろからいきなり斬りつけられる等されなければ。だが現実がそれを示している。そしてその行為から結び付く結論は。

「…うら、ぎり………?」

余りに信じ難い考えについ口が動き、空気を震わせる。

「…ハハハッ。」

自分以外いないはずの中に、聞き覚えのない笑い声が響き渡る。そして自分の入ってきた入り口から漏れていた光が、人影で遮られる。

「…誰だ。名を名乗れ。」

目を凝らし、腰の軍刀の柄に手を伸ばす。コツコツとブーツが床を叩く音が規則正しく鳴らされ、音の源が近づいてくるのを感じる。逆光のせいで、顔はよく見えない。

「…名前か。言ってもどうせ意味は無えよ。冥土の土産に教えてやるつもりもねえ。」

「俺が死ぬと?貴様によってか?」

「よく理解ってるじゃねえか。案外、目ざとかったからな。遅かれ早かれ気が付かれるだろうが、こんなに早いとは思いもしなかったもんでね。…今気づかれちゃあ…困るんだよなァ…。」

耳障りな声が、空っぽの施設に反響し通る。

「…よく喋る。」

「よく言われる。」

頬に汗が伝う。剣を握る手に汗が滲む。緊張しているのか。足が、動こうとしない。

「…一つ、質問しても?」

確実に距離を縮めてくるその男が言う。もう少しで、天井から差す光で顔が照らされそうだった。答えようとは、しなかった。

「返事がねえから勝手にさせてもらおう。…『お前は恐怖を抱いている』か?」

「…何を言うかと思えば。そんな事があるわけないだろう。」

「…そうか。残念だ。」

男が黙った瞬間。自分の体から血が吹き出るのを感じた。困惑と急な痛みで思考が停止する。何?なんだ?何が起こった?服が血液で滲み、湿り、染められていくのがわかる。身体から力が抜けていく。剣を支えることすらかなわない。気付けば身体は震えていた。その時ようやく、改めて、恐怖を感じた。もう遅いと、本能が告げていた。頭をあげることが出来ない。俯いたまま、ただ近づいてくる足音だけが、淡々と耳に届いていた。

「…言い遺したい事は、何か?」

足音が止み、床しか映さなかった視界には男の靴の先が入っていた。渾身の思いで頭を振り上げ、叫ぶ。

「…ッ貴様は!!一体何故ッ!!!」

目に入ったのは、確かに自分のものと同じ制服を着た白髪の男が、既に剣を振り上げている姿。冷ややかに自分を見つめる、白黒反転したその左目が。その夕焼けに照らされ妖しく輝くその朱の瞳が。ひたすらに目に焼き付いた。

そして次の瞬間、視界の上下は反転し、血を吹き出し崩れていく自分の身体を見て、景色は暗転した。

 

 

「はァ。血を浴びる趣味なんか無ぇんだよ…。」

独り言を呟きながら、転がる首を蹴飛ばし、名も知らぬ男の制服からピンバッジを剥ぎ取り、足で踏み潰す。そして動かなくなった首無しに、また足で器用にチリをかける。

「…何故…ね。」

今では絶命した男の問いを頭の中で反芻させながら、用済みとなった血染めの制服を脱ぎ捨てる。朱に濡れ、下がった白髪を鬱陶しそうにかき上げて、物憂げに収容所を後にする。

何故裏切るのか。難しくも何ともない答えが浮かぶ。聞いた者が思わず首を傾げてしまうような、そんな莫迦らしい答えだった。

 

 

――――興味が、湧いたから。

 

 

今、他の何よりも面白そうだった。だから、興味が湧いた。それだけで、自分の中では百点満点の答案だった。人に理解はされないだろう。それでいい。何時だって、そうだったから。

 

不気味に笑う、白髪の男。残紅に、染まってゆく。