かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

現を抜かす、船の上。

気付けば、船の中に居た。それもボートやヨットなどの陳腐なものでない、目が眩むほど輝かしい光景の他所に人の欲が醜いほど色濃く顕れるには最適な様な、そんな豪華客船。

黄金の装飾が施されたシャンデリアが宙高く吊られ、周囲を照らす。周りを見渡せば気高いドレスコードに身を包んだ人、人、人。女を侍らし我が物顔で道の中央を進む者もいれば、対照的に壁の花と化し一人大人しくシャンパンを啜る者も。縦横無尽に人が踊る中で、状況の理解出来ないまま一人立つ。

…夢にしては鮮明が過ぎる。確かに自分は昨夜、自分の家の自分のベッドでいつもの様に白湯を飲んでから寝たはずなのに。ところが現実…いや、この空間はどうだ。あまりに奇っ怪で、目が回る。髪型や服装まで整えられているのは、不気味としか言い様がない。地に足を付けている感覚はあるのに、どうにも夢見心地な感覚がして妙な違和感に苛まれる。現実では無いのに、限りなくそれに近いものを覚える。不気味の谷と呼ばれる感覚を全身で味わうような不快感に一瞬襲われて、嘘のように消えていった。

明晰夢、という言葉を思い出した。見ている夢を、ある程度自分の自由にできるというもの、だったか。…正直、うろ覚え。まあ、そんなものは今この状況とは殆ど関係ないと言っていい事をたった今思い知らされた。

だって如何にもな、自分の嫌いな頭のてっぺんから足の爪先まで全てのノリが軽そうなクソ野郎が風貌違わずといった調子でキャッチの声をかけてきたから。どうやら現実か定かではないこの世界でも、自分のくそったれの様な性質は変わらないらしい。思わず溜息が、首が項垂れるほど出てしまう。…潰そうか。この足元の露出の高いドレスでは、少し見えてしまいそうで気にはなってしまうが。まあ、関係ない。

踵の先のヒールを二回、コンコンと床に鳴らし。脚の具合を確かめて。狙うのは。

 

 

 

 

 

 

 

身体をくの字に曲げて急所を両手で抑えもんどり打つ男と周りの視線を置き去りにして、殺害未遂現場を後にする。手応え…いや、足応えとでも言うべきか。イマイチだった。あともう一回くらい踏んづけておいても良かったかな。どうせ現実で無いのだから、良い思いとまでは言わないから、嫌な思いくらいさせて欲しく無いものだ。

嫋やかに舞うドレスの先を何となく気にしながら、当てもなく歩く。取り敢えず、煙草が吸いたい。喫煙所とか無いのか。

…このドレス、きっと良いものなんだろう。黒を基調とした、赤のリボンが映えるデザイン。背中が空いているのが、少し落ち着かない。袖の細部まで丁寧に施された職人芸。肌にストレスを与えないそれ。詳しくない自分であってもそう感じ取れるそれすらも芸のひとつと言えよう。

……似合ってるんだろうか。というか正直、自分にとっては似合う以前の問題で。自分で選んだ訳でもないこれが、自分には過ぎたものではしないだろうか。服に着られてはいないだろうか。不安になってきた。ていうかそもそもこんなのを着せてくれたお節介は誰だ。普段しないような髪の毛のセットまで御丁寧に、どうもと皮肉をきかせて言いたくなるような、そんな気分になってきた。要するに苛立ってきた。腹部のコルセットが妙にキツいし。ウザい。

…もう何でもいいから、とにかく煙草を吸わせてほしい。

 

何故か向けられる人の目の視線を肌で受け、嫌な顔で返しながら喫煙者の楽園を探して辺りをぶらつく。人混みが今ほど鬱陶しく感じたこともそうそう無い。…ほんとに見当たらない。場所が悪かったのか。

そうしてどんどん機嫌の悪くなる折、上層への階段を見つける。天井から下げられた板に書かれていたのは、『DECK』の四文字。流石に船なら、甲板にも喫煙所くらい目立つように置いてあるだろうと、淡い希望を抱いて足を進める。空調の行き届いていた空間から出ると、それよりも少し暑い、程よい暖かさが出迎えてくれた。

ヒールが小気味よい音を刻み階段を進む中、空が見えた。

陽が落ちかけているのだろう。左から右に、綺麗なグラデーションが描かれていて。穏やかな緋色はやがて闇に溶け込んで。妖しくも雅に、漆黒に近い藍を思わせる。空の海の中で散りばめられた星が、どうしようもなく幻想的で。一瞬だけ足を止めて、見蕩れてしまった。世界のどこかにはこの景色があるのだろう。柄にも無く、乙女のような事を考えた。

…綺麗なものを見せてもらったから、先のいざこざは水に流してやろう。これでチャラだ。うつつを抜かしたこの空間に向けて、一人勝手に呟いた。

みんな考えることは同じなのか、階段を登りきるとそこかしこで身を手すりにあずけ、口から鼻から、また手元から煙を上げている様が見かけられた。先客がいるなら後から来る客も入りやすい。幸いと煙草とライターを取り出そうとするが。ない。頭が真っ白になる。衣装も変えられているのだから考えてみれば当然だったのだが。それではこの虚しさは収まらない。何の為にここまで来たのか。そして再び存在すら疑わしいような誰かを呪おうとしたその時。

「…なあ。」

後方から、落ち着いた男性の声。またナンパかと、今のこの火で燃え滾るような状況に油を注ぐような真似か、と呆れ気味に、振り返りもせずに声を返す。

「…何。私今イライラしてんだけど。」

ちゃんと言った、私は。ついでに寄るなオーラも出しているはず。次に奴が何か癇に障るような事を吐かすものならどうしてくれようか。

「もしかして、アシュリー?」

名前を呼ばれ、思わず振り返る。この場に知人?考えもしなかった。

「…はあ。そのアシュリーだけど。……は?」

そして振り返った先に居る、まるで見知らぬ人の面影にまた思わず声が出る。

「誰、アンタ…。」

言葉を続ける。何で名前を?どこかで会った?自分が覚えていないだけ?…いや、よく見れば雰囲気が、あの可愛げの無い憎まれ口叩きとどこか似ているような…?彼女が度々話題に出していた兄だろうか。…が、聞いていたようなイメージとは、少し明る過ぎるような気がしないでもない。

よく見たホワイトグレージュの髪が、風を受けて海と共に揺れていた。

「…ああ。男になっているから気付かないか。俺だよ、ノーラ。エレアノーラ・ルンゲンハーゲン。」

そんな事を考えながら飛び出した返事は、予想外のもので。何言ってんだこいつ。

「……。」

流石に言葉が出てこない。

…まあ。いいか。此奴はノーラだと、そういう事にしておこう。もう色々なものを投げ捨てるのは慣れたもの。偽物だったらごめんノーラ。

「…そうなんだ。何やってんの?何その格好。」

「ああ…ホスト。理由は…そうだな。暇だった、そんな所かな。」

「…ふーん。まあ似合ってんじゃないの…。あとそれ以上寄るな。」

さり気なく距離を縮めようとしていたから静止させた。…身長も高くなっている。自分が見上げる側だっただろうか。此奴に見下げられるの、地味にムカつく。

「酷いな…。まあアシュリーはそういう奴か。褒め言葉は素直に嬉しい。アシュリーもその服装、似合っているよ。」

「うわ…。ハマりすぎてて気色悪…。」

ちょっと真面目に引いた。それと…顔がいいと言うのか。元を知っているし、無駄にそんなだから尚更引く。出来ればもう喋らないでほしい。

「はあ…ノーラ。煙草と火、持ってる?」

「…ああ。一応。」

「頂戴。」

…ノーラ、喫煙者だった記憶はないんだけど。隠れて吸っていたのか、男になったからなのか。…まあ、どっちでもいいか。持っていることに越したことはない。

「アシュリーの好む銘柄では無かった気がするが…。ほら。」

煙草の入った紙箱とライターを投げ渡される。確かにいつも吸っているものでは無いが、贅沢は言えない。取り敢えず吸いたい。慣れた手つきで一本滑り出させ、口にくわえて湿らせ火をつける。煙を吸い込み胃に取り込み、大きく吐き出す。

「はぁーーー……。生き返った……。」

別にニコチン中毒という訳では無い。何かくわえてないと落ち着かないだけ。キャンディか何かあればよかったが、それも無かったので。

「…ありがと。」

渡されたものを同じ手法で返す。その様子すら様になっているのがまた少しムカついた。

「フッ…。」

鼻で軽く笑われる。

「…何。なにか可笑しい?」

「いや…。相当我慢していたんだなと思って。ああ、それと。これ、一つ貸しという事で。」

妙に笑顔で、片手に煙草とライターを持って、態とらしく手首を振って見せる。

「はぁ……?……チッ、しょうがないか…。」

諦めと呆れを煙に乗せて吐き出しながら、手すりにもたれ掛かって足を組む。

「…じゃあ、俺は戻る。」

「…アンタ、何しに来た訳?」

「休憩ついでにぶらついていたら、見かけたから声をかけただけさ。」

「ふーん……。」

「…探していて欲しかった?」

「ハッ……。」

鼻でひと笑いして返す。男になっただけでホストという職業がここまで板につくだろうか。

「じゃあ、また…。…と、宣伝を忘れる所だった。」

「しなくていいよ。行かないから。」

「まあそう言うな。『クラブ・キノタケ』という所で『NORA』でホストをしているんだ。見かけた時には、宜しく。」

「あっそ…。」

「…それじゃあ。」

女性の時と変わらぬ素振りで背を向け去っていく姿。陽の光が彼の胸元の花と飾りを照らし、僅かに輝くのを見て、軽く手を振って送った。

「クラブ・キノタケ、ね。…変な名前……。」

今度は手すりに前を向けて、もたれかかって。光を受け輝く海に、沈んでいく陽を眺め、風に靡かれながら、名前を復唱した。

貸し、とは。あんなに強調して言ったのだから、貢げとか、そういう意味なんだろうか。そんな事しなくともあのルックスならどうせ客が入れ食い状態だろう。野次馬根性で見に行ってみたさはあるが、野郎の中身はノーラだ。目ざとく私を見つけては手を振って、面倒なことになるような予感しかしない。

…が、どうせ現実ではないのだから。それなら思う存分、楽しんでやろうか。精々、火を失い、くすんで落ちる灰とならぬ様、気をつけながら。鮫の餌になるのは、真っ平御免だ。 

夜に差し掛かっても、この船の騒ぎは終わらない。むしろここからが本番とでも言いたげに、デッキのライトアップは強まり、より派手に。使われる金は、呑まれる酒は、高まっていく熱は、それこそ湯水の如く。

 

太陽の消えかけた今、ここぞとばかりに船の照明が海を照らす。 

 

蒸す煙が、夕闇に溶けていく。

 

 

 

 

 

 

 

名×さん宅のNORAさんをお借りしました。

ありがとうございました。