かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

月の忌まわしき夜の事。

天照神国。

西京都、荒川区。取り留めのない日の夜。

 

月が、一段と強く光を放っているような。そんな気が、した。

 

 

……気のせい、か?

人気のない通り。民家の屋根の、綺麗に重ねられた瓦の道を、誰にも見つからない様に音を消して駆けながら、横目でちらりと月を覗いて、そう思った。

 

月の光は嫌いだ。自分勝手に、ありとあらゆる物を照らしていく。そうして、影を生む。影のせいで自分の存在が勘づかれるのが嫌、というのも確かにそう。だけどもそれよりあんな暗い中で我が物顔でふんぞり返っているあの姿は、どうも好きになれない。明かりが必要なのは分かっている。実際消えてしまえば困るのも。だが、何となく、好きにはなれない。照らされたくないと感じる奴だっているのだ。

 

子供じみた当てつけのような訴えを、心の中で一人囀りながら足を動かす。屋根をつたい走り、飛んでは、舞うように。その脚が届かぬ場所など無いかのよう。月下の街で黒狐が躍る。首に巻いた赤布が身体の動きに合わせて、風に揺られて靡く。汗で湿った首周りに風が当たって、少し涼しい。

 

そうして縦横無尽に、勢いのまま駆けて街を抜け、鬱蒼とした薄暗い森を抜けて。気付けば名前も知らない社の前に居た。林の中の緩やかな坂道に、灯りのついていない灯篭と共に連なる無数の鳥居。人知の及ばざる妖しげな雰囲気こそ有るものの、埋もれすぎず目立ちすぎずのいい塩梅を保った少し小さめの社。確かに手入れされていた痕跡のある小綺麗なそれに、何となく目を奪われる。そして大事に置かれた祠の前の、二、三段程度しかない段差に座り込む。

風が周りの森を揺らして、草木の擦れる音、枝や根のしなる音がそこら中に響く。灯りも人気もないが故に訪れる静寂と、程よい雑音。誰も居ないのを確認して、狐の面と頭巾を落とす。森から抜けてくるそよ風を浴びて、身体の力を抜いて。耳と尻尾を出して、楽にする。

木々の隙間から覗く月を、ぼんやりと眺める。その形は、綺麗な弧を描いていた。三日月。どんな意味があったやら。月の光で生まれた影に包まれて、ただ物思いにふける。

 

……月に照らされるのが嫌なら、そもそもそんな事しなければいいのに。

心の中で、自分が言う。

好きでやっている訳では無い。元々、消えた母の手掛かりを探し出す為、自分たちの存在を認めなかった奴らに自分は生きていると誇示する為に始めた事。

……それに、何かしていないと、夜は落ち着かない。最近、もうここ二年は、ぐっすりと眠れるような事なんてない。清々しい朝も来ない。寝ると、夢に追われる。形は様々。だけどその何れも、自分が苦しんで、誰かが泣いている。自分であったり、知人であったり、記憶の中の母であったり。……眠りたくない。それもきっと、理由の一つ。

 

肝心の手がかりも、今日も見つからなかった。近くのめぼしいところは大体漁った。奴らと関係を持つ家系の家、情報の集まるお膝元……それでもまだ、何も見つからない。まだ、まだ探す必要がある。もっと、もっと。遠くへ。終わらない。まだ終わらせない。終わって、たまるものか。

眺めていた月を睨んで、黒手袋を着けたままの手を広げて、月に向けて。

 

いつか、必ず。

 

月を握るようにして、強く心に刻んだ。

…そうして、手を下ろし、そろそろ戻ろうかと思い、立てば。待っていましたと言うように、森のざわめきが止んで。

 

 

「……誰かと思えば。こんな所で油売りかえ?」

「……守御羽…。」

聞き覚えのあるような、ないような声。あっけらかんとした、人を馬鹿にするような声色。顔を上げれば、一番手前側の鳥居の上で肘をつき、頬杖をたてて我が物顔でこちらを見下ろす知人。…人というよりは、神様寄りだろうか。

「……別に。お前には関係無い。……何。ゆっくり観賞でもしてた訳?」

「観賞……のう。ふふ、まさか。我がそこまでお主に興味があると思うてか?自意識過剰…というやつかの……?」

態とらしく首を傾げては、おちょくるような物言い。…いつもの事だが、どこか雰囲気の違うような気がして。月を背にした逆光のお陰で、顔がよく見えない。どうにか、シルエットが掴み取れるくらい。眼がほんのりと、明かりを灯している。

「……何にせよ、ちょっかい出してきたのはお前からだ。どうせ何してるかもとっくに知ってんだろ。」

あらゆる所をさまよっているのだから、知られていても別段おかしくはない。目的が知られていなければ特に気にすることもない。だから、どうでもいい。……はず、だった。

 

「…そうさな……。」

視線を横に流し、不釣り合いな厭らしい笑みを浮かべ。そうして、鳥居の上からその身を乗り出して。身体は宙に舞う。ふわりと踊り落ちる花弁の様に。揺れるだらんとした袖口が、舞い上がる髪の毛が。赤髪だった筈のそれが、黄金色に煌めいて見えたのは。月の明かりがそう錯覚させたのか。ああ、それとも。根本から、違っていたのか。気付いたのか、気付かされたのか。どちらにせよ、余りにも遅く。

月を陰に、ゆらりと此方に迫ってくるその者に見蕩れて、近づく程に鮮明になる不敵な笑みが、満月を思わせるかのような金色の瞳が。視線が交わって、それの手が、ゆっくり、ゆっくりと此方に伸びて​、顔が、覆われ、て───────

 

 

 

​「……母がそんなに、恋しいか…?」

 

​───────全身の産毛が、逆立って。焦燥と泥濘に覆われて。優しくも、嘲笑うように、見透かすように、絡めとるように、揺らがすように。確かにそんな意思に満ち溢れた一言。見事、見事に足元を掬われた。その一言の後に起こる森のざわめきが、焦燥感を煽る。

どうして知っているのか。そんな事ですら声にならず、未知は恐怖を生み、恐怖は身体の麻痺を生み。鼓動が早まっていくのを感じていた。ただ目を合わせて、一言囁かれただけのはずなのに。不思議な力に身体を縛り付けられ動けないような錯覚が襲う。今も、今も、見つめられている。視線を外すことも適わない。

ああ。目を合わせてはいけなかった。話をしてはいけなかった。ここに来てはいけなかった。立ち止まってはいけなかった。いけなかった、いけなかった​───────全て。

 

「……愛いやつよな。未だ母の面影を追う子狐。愛くて、一途で、切のうて……尚のこと憐れで。見ておれんわ…。」

顔と顔とが密着する。鼻の先が触れ合いそうな。瞳の奥の、その先まで見えてしまいそうなほど、近く。互いの香りが混ざって、溶け合って。

クスクスといったように薄く笑うその姿を目の前にして、縛りよりも激昴が勝った。爛れかけた気力を振り絞り、意地だけで悪趣味な狐を振りほどく。奴の身体が宙に浮かぶ。

「おお。怖い、怖い…。」

「はッ、は、ぁッ……!何なんだよ、守御羽じゃない、誰だ、てめえ……!」

「…♪」

此方の様子を愉しげに見つめ、ふわふわと浮かび袖口で口を隠し笑うその姿に、恐れと怒りを感じて。ここまで得体の知れない奴だったか?考えてる事が何一つ読めずに、ただ戸惑う。呼吸が整わない。

「そんなに熱のこもった視線を送られても……困るのう……。」

「どの、口で…!」

力がまるで入らない身体で威勢を張る。拳を握り続けるくらいがやっとだ。

「ふふ。まあ、よい。……守御羽。昼のアレとはまた違うがの。余もまた、守御羽よ。」

……聞いたことは、ある。住まいの女主人の鬼童丸柘榴が言っていた。守御羽には夜の姿が存在する。あらゆる面で変化が起こり、似通うのはその姿かたちだけであると。

曰く、女狐そのもの。

「それとな、童。」

「精々口には気を付けろよ。余はアレと同じ程懐深くは無い。…喰ろうてしまうぞ?」

先程のお遊びのような雰囲気から予測もつかないような、溢れ出る殺気と威圧感。思わず歯を食いしばる。背中に冷や汗が伝う。地ごと釘でも刺されたかのように、身体が強ばる。

「…そこまで怯えてしまってはのう。会話もままならんようじゃな。」

「!、誰が、そんな……!」

「見ずとも分かるわ。声、震えておるぞ。」

きっと何もかも見透かされている。そう直感した。何を取り繕おうと、奴の前では無意味だ。

「……ふん。今日はもうよいわ…。それでは…」

「…と、そうそう。昼のアレは、この事は覚えておらんだろうから。」

 

「……今宵の事は、余とお主の間の秘密……よな?」

わずかに空いていた距離を急に詰めて、その人差し指を唇にあてがって。これみよがしに目を細めて笑ってみせる。魅惑的な素振りと感じてしまう自分を、何より嫌悪した。

 

「……クク。それではな。また、会おう…。」

そう言い残して闇に溶けて消えていくのを見ていた。追いかけようなどとは、思いつきすらしなかった。ただ、触れてはならない領域があること。その領域に、片足を踏み込んでしまったこと。

……そして奴の後ろ姿に、ほんの、ほんの微かに。母の何かを感じたこと。気の所為だと思い込んだ。あってはならないことだと怒りを込めた。当てつけのように帰路を乱暴に駆けた。耳も尻尾も狐の面も、隠すことすらしないまま。

静かに部屋に入って、何の片付けも、支度もしないまま床に入った。寝る事が嫌だったはずなのに、どうしようも無く今はただ寝たいと思った。

明日の事なんて、考えすらしなかった。

 

 

意識の落ちるその寸前まで。

月のように忌まわしく爛々とするその眼が、瞳が。

脳裏に、焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

弐妹さん宅の守御羽さん、

お名前だけですが、

同じく弐妹さん宅の鬼童丸柘榴さんをお借りしました。

ありがとうございました。