かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

やがて来る日。

【※未来ifです】

 

遠い、遠い未来のこと。

 

 

体を動かす事が辛く感じる。関節の節々は痛み、咳込みの頻度は明らかに増えた。何も考えられず、ぼーっとしている時間も増えた。僕が出来なくなったことは、今では彼がやってくれているが。嬉しさと同時に、申し訳なさも込み上げてきて。

そして、必然的にやって来るのは、死への恐怖。最早いつその時が来てもおかしくはないだろう。やりたい事も言いたい事もまだ残っているというのに。時間は有限で、運命は非情だ。…逃げ続けていたんだろう。いずれ来る、この別れから。必死に見ないふりをしたんだ。身近な人の死を嫌という程経験したはずなのに。最愛の人を悲しませたのに。もう、向き合わねばいけない時期だ。僕の為にも、泣き虫な彼の為にも。

 

壁に手をつたい、よろよろとした足さばきで洗濯物を干す彼の元に向かう。少し歩くのでさえ、体が悲鳴をあげる。散歩、いつからしていないかな。

「…ロゼ。」

「ズリエル?どうしたの?」

陽を受け、体を逸らし顔をこちらに向ける彼の姿が、いつにも増して輝いて感じた。出来るなら、この光景を何時まででも眺めていたいけれど。生憎、門限は近い。

「ちょっと、大事な話。それ、終わったらでいいから。」

「……ん。分かった。」

ちょっと顔を強ばらせて、作業を再開したのが見えた。ソファに手をかけ、ゆっくり腰を下ろす。…コップ、持ってくればよかったな。手持ち無沙汰で、首のロザリオを指で弄ぶ。空いた窓から風が吹いて、色の抜け落ちた白髪が揺れる。

 

「…ズリエル、ズリエル!」

肩を叩かれ、目覚める。

「…あれ、寝ちゃったのか…ごめん。」

「いや、別にいいけど…。コーヒー、飲むでしょ。淹れといたから。」

呆れ気味の顔でカップを目の前のテーブルに置いて、横に座るロゼ。何となくその仕草を見ていて、変わらないなと思った。いや、見た目の変化が少ないのが彼らの種族の特徴なんだけど。そういう事じゃない。…まあ何にせよ、綺麗なのは、いい事だ。

「ありがとう…。…ん、おいしい。」

味、本当に分かってる?

「良かったね…。…で、話って何。」

「…もう、大体察しついてるでしょ。僕が死んだ後…」

そこまで言いかけて、彼が髪の毛を揺らして席を立つ。…。

「ちょっと。どこ行くの。」

「…聞きたくない、その話。」

背を向けたままでも、怒気が込められているのが分かる。

「…でも、しなきゃいけないんだ。僕だってしたくない…。」

「だったら!!」

言葉と共に振り向かれた、彼の顔には。

「………しない、でよ…。ずっと、一緒って、言った………。」

大粒の涙が、既に零れていた。悲しみに満ちたような顔に線を引いて流れ落ちていくそれを、ただ見ることしか出来なかった。また、泣かせてしまった。もっと簡単に、想いを伝えられたらどんなに楽だろう。

「…ごめん…。」

一言残して、涙を落としながら外へ駆けていってしまった。その背中を、ただ見つめていた。

 

 

 

数日後。

いつもより数時間早い朝に目が覚めた。不思議と、体が軽い。そして嫌な予感が頭を巡る。お前は今日死ぬ、なんて不明瞭で、無情で、突拍子もない宣告を、誰かにされたような気がした。何の根拠も自信も無い、ただの勘。それでも、無視するには僕には些か度胸も勇気も足りなかった。

 

「…おはよ。早いね。」

「…おはよう…ここ数年は、こんなもんだよ…。…なに、これ。」

ダイニングテーブルの上に、少し赤みがかった紅茶が湯気を伴ってカップに注がれていた。

「…ああ。起きてきたら飲むかな、と思って。淹れといたの。多分好きな味だと思う。」

「ふーん…。なんで俺の起きてくるタイミング分かるの…湯気立ってるって事はまだそんな時間経ってないよね…?」

「あー………なんか、今日はやけに勘がはたらくんだよ。そういう事にしといて。」

「別にいいけど…。……あ、これ美味しい…。えっ、好きなんだけどこの味。何これ、どこのやつ淹れたの?」

「んー?ふふ、秘密…………にしとくほどでもないか。僕がちょっといじったの。隠し味?自分で探してみなよ。」

「えー…なにそれ…。結局教えてくれないんじゃん…。」

「…あ、ていうか。それ飲んだらでいいからさ、顔洗ってきて。」

「え、なんで。いや言われなくても洗うけど。」

「出掛けたいの。久々に二人で。…いいでしょ。」

「………え?」

「だーから、出掛けたいの。二回も言わせないでよ。」

「あ、はい………え、体は?大丈夫なの?」

「うん。今日は多分、なんとなーく、平気な感じがする。安心して!」

「え、ええ…?………まあ、うん。分かった…。じゃあちょっと時間ちょうだい…。」

「うんうん。ゆっくり準備しておいで。…もう飲んだの?早いな…。」

あわてて自分の部屋へ向かう彼を見送って、ポットに残ったお茶を彼の使ったカップに注ぐ。別に他意はない。僕の分用意するの忘れてただけなんだ。本当。………美味しいなあ。もう、これが飲めないのは、少し心惜しいけど。久々に手で淹れたけど、中々出来るもんだ。うん。…僕も、準備してこよう。

飲み干して、カップを静かにテーブルに置き、リビングを後にした。後引く香りが、懐かしく感じた。

 

 

「………準備して家出たはいいけどさ、どこ行くの。聞いてないんだけど。」

「えーと、ね。まあデート。この歳でこんな事言うのもちゃんちゃらおかしい気がするけど。あ、最後はちょっと、寄りたいとこがあるから。」

「デート…。もう流石に慣れた、けど…。」

「そ。じゃあさっさと行こう。時間は過ぎていくんだよ。」

彼の手を取って、歩き始めた。指輪の冷えた感触が、少し心地良かった。

 

映画、ショッピング、散歩、食事…思いつく限りの事をして回った。楽しみの傍らに、常に寂しさと悔しさがついてまわった。どうしてこの時間を永遠に過ごせられないのか。僕が君と同じように、出来るだけ近い時期に生まれてきていたら、もっと長い間、君と過ごすことが出来たのかな。何もかも投げ捨てた疑問を、叶うことの無い夢のように思い描く。この空間を手放すのが僕からだと思うと、歯痒くて堪らなかった。そんなことを考えている間にも、時間は過ぎていく。

 

「もう、こんなに暗くなっちゃったかあ…。」

「あれだけ色んなところ回ってればね……疲れた……。」

「…まだ寄りたいとこ、あるんだよ。最後の1つ。ちょっと遠いけど、我慢してね。」

「ん。」

 

時間をかけて、マグ・ゲートを通り、辿り着いた先は。

 

「…ここ…。俺達の故郷…。なんでここに…?」

「まあ、色々。まだちょっと歩くんだ。」

二人で、森の中を進んだ先、見覚えのあるだろう景色。そこには、小奇麗な木製のベンチが一つ置かれただけの、丘。

「あ…。」

「…つらいこと、思い出させたかもしれない。…ごめんね。今から、少しお話をしよう。」

手を引いて、一緒にベンチに座る。

「…僕ね、多分そろそろ死ぬと思う。」

彼は、黙ったままだ。

「…何となく、そんな気がする。こういう時の勘は、よく当たる。」

黙った、まま。

「…君と過ごせた時間。本当にあっという間だった。同居し始めてからは、特に。」

鼻をすする音がする。

「毎日が、楽しくて。好きな人と、生活を共にするのがあんなに幸せだなんて、知らなかった。…それを知りつつ、僕は君を置いて逝くんだ。恨んでくれて、構わない。」

「そんな、こと…。」

泣くのを我慢しながら喋ろうとするのが伝わってくる。

「…泣かないように、してるのか。つらい思い、何回もさせるね。ごめん。僕の為に、ありがとう。…ロゼ。…こっち、見て。」

「…かおみたら、ないちゃう、から。」

「僕が、見たいの。…お願い。」

ゆっくり上がった顔を見れば、涙が瞼に込められ、今にもこぼれそうだった。

「…う、あ、ぁあ…………。」

一粒、二粒と落ちていく。静かに、頭ごと抱き寄せる。

「…泣かないで。せっかくの綺麗な顔が、だいなし………。」

そんな事を言いながら、自分の目からも自然と涙がこぼれていく。離したくない。この匂いを、感触を。

「…君といる過去や現在が、羨ましくて。君のいる未来が妬ましくて。どうしてそこに、僕はいられないんだろう………悔しいなあ………。」

涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら言う。形容しきれない感情が底からわいてきていて。どこかへ出さないと、壊れてしまいそうで。

「なんで、なんで…………俺もいくから、すぐいくから…………。一緒にいるって、言った、から……………。」

嬉しくも、悲しい言葉。

「……最後にわがまま、言わせて。」

「…いつも、自分勝手だったくせ、に。…なに。」

互いの肩に乗せた顔を離して、泣きじゃくったひどい顔を二人、突き合わせる。涙で潤んだ眼を、合わせ合う。

「………僕の為に、生きてくれ。後を追ってくれるのは、嬉しいけど。僕は君に、生きてほしい。ビデオレターじゃ呪いだ何だなんて言ったけど。…………僕のいなくなった世界を、あとの世界を。君の口から聞きたいの。…君がもし、寂しいっていうんだったら。………これ、あげる。」

首にぶら下げた十字架のネックレスを、優しくロゼの首にかける。

「………なんとも頼りないけど、それが目印。それを君が持って、身につける限り。僕は君を見守るし、ずっとそばに居る。僕の、御守り。今からは、ロゼの御守り。………それでも寂しいっていうんだったら、生まれ変わってでも君の元に行く。また、逢いにいく。その十字架を目印に、君が願えば、僕は絶対にまた傍に寄り添うから。………お願い、ね。」

こくこくと、ただ黙って頷いてくれるロゼ。ありがとう。

「…ロゼール。…僕は、君と生きることが出来て幸せだった。ありがとう。素晴らしい、人生だった。君の、しあわせ、を…。」

口から力が抜けていく。こんな唐突に、逝くのか。勘弁してくれ。続いて体にも力が入らなくなっていく。まるで、魔法が解けたように。

せめてもの運命への抵抗にと、愛の証明にと、くしゃくしゃの顔を無理やり笑わせて、彼の体をまた、力いっぱいに抱き締める。彼にとっては、軽くハグされたようにしか感じられないのかな。体の感触は、遠くなっていく。瞼が、自重で閉じていく。

様々な記憶が頭を駆け巡る。思い浮かぶのはどれも、君の顔。初めて出会った時の顔や、血を吸われた時の顔、ステンドグラスをバックに映える顔、一緒に遊んだ時の楽しそうな顔、…挙げようとすると、キリがない。しかめっ面だったり、泣き顔だったり、幸せそうな、笑顔だったり。…本当、色んな思いをさせてきたんだな。君の今の顔が見れないのが、悔しいよ。

言葉に紡げなかった、僕の気持ち。君の全てが、愛おしかった。そのふわふわの髪の毛も、凛々しい眼も、優しい本質も、泣き虫な弱い所も、その演技の騒がしさですら、楽しく愉快に感じる日もあった。僕と生きてくれて、ありがとう。僕を選んでくれて、ありがとう。感謝の念しか浮かばないんだ。悔いがない訳では無いけれど。最後まで僕を見て、僕を分かってくれた人は。君だけだから。

朝出したお茶のレシピ、ロゼは分かるかな。…きっと、わかるだろう。君の好きなものを、ほんの少し混ぜただけだ。言いそびれてしまったけど、君なら気づくって、勝手ながら信じてるよ。

…後、大丈夫かな。追って、来ないだろうな。来てくれたらそれはそれで、とても喜んでしまうだろうけど。どっちでも、僕は嬉しいんだ。君が僕の事を考えてくれるってだけで。…ああ、幸せだったんだな、やっぱり。うん。何回反芻しても、この気持ちは弱まらない。ちょっと自分で気持ち悪いくらいだ。

 

 

………ああ、もう、か。何が待ってるんだろう。………君の幸せな未来を、ただ願っている。どうか、泣かないで。笑顔を、絶やさないで。

 

また、ね。

 

 

意識は、ほろほろと、緩やかに溶けていった。