かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

首輪の亀裂

某日、トメニア第三帝国内、某所。

雨の降る日だった。湿り気に満ち、ゴミの散乱した薄暗い細い路地の中、一人の男が顔の見えないよう深めに傘を差す。後頭部からだらりと垂らした白髪を弄り暇を潰していた。雨粒が地面とぶつかる音が何重も重なる中に、ヒールが高らかに足音を鳴らす。規則正しく小気味よく鳴らされるその音の元はゆっくりと、確かに距離を縮めてくる。そして足音は傘を深く差した男の前で、ピタリと止んだ。傘越しに、顔を向けずに話をする。

「…待たせたかな?」

「いいや。…立ち話は目立つ。少し歩く。」

「ふむ。構わない。」

狭い路地の中を待っていた男が歩き出す。尻尾のような髪をたなびかせ器用にゴミをかわし先行する。その後を、ヒールの男が黙って付いていく。二人の間の音は全て強まっていく雨音にかき消されていく。

 

名前も知らないバーの扉を開けて、外よりも薄暗い店内へ足を運ぶ。ボトルの並べられた棚を照らす淡い青い光と、壁に掛けられた燭台の上で灯される蝋燭の灰めいた黄色の灯りだけが、中の光源だった。傘を下ろし、漸くその赤い目を表した男がテーブルのソファに身体を投げ出し座る。桑年の男性がその様子を見てやれやれといった態度で呆れつつ対するソファに座り、眼鏡の位置を直しながら口を開く。

「…それで?用とは?」

「…んな大した話じゃねえさ。」

「であれば早く話して欲しいな。時間が無いわけでも時間は有限等と語るわけでもないが、君に向けられる視線は僕にも向けられるんだ。先程からやけに刺さる。」

「…ハァ?」

ソファにだらし無く身体を預けた男が首だけ動かし周りを見渡せば、怪訝な目でこちらを見つめる者が何人か。それはぎこち無くグラスを拭く若い店員だったり、不味そうに顔を顰め酒を啜る老人でもあったり。一瞬目の合っただけですぐ視線を逸らす彼等を鼻で笑って、男は向き直る。

「…あんなチンケな野郎共気にするほどテメーが繊細だった覚えはないんだけどなァ…?」

「その煽る様な物言いの事もだ。…が、もういい。そも君は言って直るようなタイプではなかった事を失念していた。…さて、もういいだろう。話とは?」

「ハッ……。………手術を頼みてえだけだ。」

「その内容も、だ。」

シワの寄せた男に問われ、少し何かを考えるような素振りを見せた後、若い方の男は答えた。

「………異能強化手術。」

「…ついに僕も耳が遠くなったのか。もう一度問うても?」

「アァー?今そういうのはいらねェんだよ………。黙ってやってくれりゃいいのさ…。理由の詮索はナシだ。どうせ言っても分からんだろうしな。」

「…高く付くが?」

「何の為にわざわざこんなクソ面倒な真似までしてテメーに頼んでると思ってんだ?金さえあれば良いんだろう?わかり易くて都合が良い…。」

「……ハハハ。」

ストレートな雑言を軽く流して、桑年の男性は間をとって乾いた笑いを見せる。

「…ハ。何笑ってやがる気色悪ィ。」

「いいや。ただ、僕がどんな医者か知りながら、わざわざこんなクソ面倒な真似までしてくれるとは…。何とも感動させてくれるじゃないか。」

「…そりゃア良かった……。…で?手術は?」

「引き受けよう。金額は此方の言い値で良いだろう?日取り場所も全て此方が決める。…良いね?」

「…あァ、それで。」

「…酔狂な男だ。」

「そう見える様に振舞った覚えはねェな。」

そう言うと、若い赤目の男は漸くかという雰囲気と共に席を立つ。

「おや、もう出るのか。何も飲まずに?」

「…生憎、酒は口に合わなくてね。それじゃァまた…お手柔らかに、な。」

 

「…………ヤン・バロック。」

それだけ言い残し、ヤンと呼ばれたその男を薄ら笑いで流し見て、伸ばした白髪をなびかせて振り返り外へ向かう。

傘をさして、穏やかな気配を見せない雨の中、路地を歩く。先の事を想像して、吊り上がる口角が抑えられぬかのように、手で口元を隠す。手に巻かれた包帯の感触がこそばゆい。

研ぎ澄まされた牙を露わにする、空気を震わせる音が鳴らされる、身を潜めながら、強かで強欲で、泥を啜り地を這う獣達の、命を賭した咆哮が響くその日を、ただ待っている。目の前で物語の動き始める、その時を。

 

 

ふじみやさん宅のヤン・バロックさんをお借りしました。

ありがとうございました。