祈りを込めて。
「ふぁ………。」
大英博物館地下。数々の研究成果や過程の詰まった書類。それらが納められた棚に囲まれて、あくびをひとつ。
いくら呪いを解くためと言っても、参考文献がこんなとこで見つかるのか不安になってきている自分がいる訳で。財団に来たのは失敗だったか?やはりグレーターロンドン大学の方に滑り込むべきだったか…。…時計塔…。
今更遅い事を考えながらぼうっとして、椅子にもたれこんで。足を組んで、瞼が落ちる。
うつらうつら。
まだ昼頃なのに眠気が襲う。約72年の年月を重ねても夜行性の癖は抜けないのか。今ばかりは吸血鬼の血が恨めしい。
うとうとと。身体の力が抜け始める。
……もういいか。他の人には悪いがここで寝てしまおう。仕事続きの疲れからくる昼寝という事でまあ何とか、言い訳がたって欲しい。
それでは、少しおやすみ。
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「……うお…。」
不思議な感触と温もりがして目が覚めた。そして目を開けて見てみれば。足の上に見覚えのある黒い毛玉。しかも動くぞ。
「……はあ。私の寝相が良くてよかったな。んんーーーー……。カドルス、お前の主人はどこだ…。」
カドルス。耳としっぽ、それと四本足のワンポイントの白毛、透明感のある緑の眼が特徴の、やけにふてぶてしい猫。やたら抱っこをねだっては満足そうに抱えられている。
……の癖に、何故か自分には抱っこを強請らず足の甲の上に乗る。何故そんなに居心地良さそうに収まるのか、そもそもどうやって収まってるのか。謎は尽きない。まあ、此奴がいいならそれで良いのだけど。
「ミャーーーウ……。」
「そんな目で見て私にどうしろと。んー、とりあえず……。」
もさもさの黒毛玉を降ろして、起きたばかりで凝り固まっている身体を解す。年寄りはこれだから。なんて。肉体年齢は若いのだから何を、自問自答のやり取り。虚しくてしょうがない。
「嗚呼。今何時だ……。……何だ。30分程度で私を起こしたのかお前。やるじゃないかカドルス……ええ?」
「ナ゛ァーー……。」
一度降ろしたカドルスをもう一度引っ掴んでは頬の肉をつまんで伸ばす。ぐにぐにぐに。なんかすごい声出した。何処からその声出したんだこの使い魔め。他人のだけど。
…いくら猫と言えど、理不尽な理由でいじっていればいずれしっぺ返しが飛んでくる。今回は早かった。
その肉体からは凡そ予測できぬ、その身体全体を捻り体重をかけて生み出された右前脚による渾身の殴打。なんだその綺麗なスピン。それだけ動けるなら普段から動けよという気持ちが湧くのはしょうがないと思うのだ。
殴られ、多少よろめく。要因は精神的な衝撃、物理的な衝撃がそれぞれ半々。
「ッア…………やりよったなこの使い魔……!」
「ナァ〜〜〜♪」
猫に負けて悔しがる半吸血鬼とふんぞり返って丁寧なお座りをする使い魔の猫。馬鹿か。
怒りの視線を他所に、何かに気づいた勝利者はそちらの方を向き、とてとてと緩やかな足取りで気配の主に近づく。その先にいたのは、1人の少年。気だるげな雰囲気の、淡い灰色の長い髪を後ろで括り、また前で結んだ財団員。黒のリボンが目を引く。多少生意気だけれど、彼の駆る箒と、その姿は実に逞しく、意気揚々としていて。私は彼が飛んでいるのを見るのが好きだ。勇気を貰えるから。彼は少し嫌そうにしていたけれど。思春期故か。
……そんな可愛い彼の名は、リル・ヘルキャット。
「……何してんの?」
「……カドルスと遊んでいた。」
「…ふーん。」
少しの間を置いて返した答えは、鮮やかな二色の瞳で、疑問の視線を持って迎えられる。本当だぞ。嘘はついてない。
「……そんな事、別にどうでもいいけどさ。それじゃあ。」
寄ってきたカドルスを抱きかかえ、背を向けて横顔だけ見せて言う。
「なんだ、もう行くのか。」
「カドルスを探しに来ただけだから。」
「…いや。待て。折角だ。少し付き合え。」
歩き出した彼の肩を軽く掴んで、歩幅を同じにして連れていく。
「え、嫌なんだけど。離して。」
歩きを止めたリルの足がつっかえになって上手く進めないが、無理やり押して進む。
「断る。……あー。ほら。前のレース。何も祝えなかったろう。言葉だけで。今しよう。好きな物奢ってやる。」
本当は自分の腹が減っているだけ。……いや、これも嘘だな、お祝いは本当。まあ言うわけないが。血液の補給とは別に腹も減る。面倒くさい上に燃費も悪い身体なのだ。朝から何も食べてないことに気づいて、急に腹が減ってきたわけで。あとしゅわしゅわが足りない。
「何その……馬鹿にしてんの?奢ればいいと思ってる?」
「違う。私の腹が減ってるからそれに付き合わせたいだけだ。」
「は?」
「おっと。まあ文句は後で聞く。とりあえず行くぞ。何か食べたいのはあるか?」
「アウルムって人の話聞く気ある?」
手厳しい反応が続く。若者からの苦言は耳に堪える。当然か。ほぼ誘拐に近いし。
まあほら、無駄に歳を食った生き物は構いたがりなんだ。許して欲しい。
お前にとって、これが少しでも楽しい時間になればいい。きっと思い上がりも甚だしい。だけどそのままじっと見ているなんて出来ないんだよ、私は我慢弱い。
きっと将来、見上げただけで膝が震えてしまうような、高い壁が待っている。しかもそれは、代償無しにはとても越えられないような、酷く残酷な壁。
いつか、いつの日か、その時がやってくる。どうかその時に、お前が悔いのない選択を出来るように。私は祈るしかない。祈るしかできない。何も出来ない。無力なんだ。
だから今は、このいつ終わるかもわからない、明日にでも終わりを迎えるかもしれない、この不安定で平和な日常を、謳歌して欲しい。
失った時にはもう遅いから。気づくことが出来るのは過ぎてからだけだから。
願わくば、その時が来ないことを。
歪んだ歯車に、どうか狂わされないで。
藤田ミハナさん宅のリル・ヘルキャットさん、カドルスさんをお借りしました。
ありがとうございました。