かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

『自慰』

 「……」

 こんな感情、要らなかったはずなのに。

 

 

  薄暗い部屋で一人、行き場の見当たらない熱を慰めている。眠りたかったのに、不本意に昂ってしまった、自らのモノを扱いて押さえつけようとしている。こんなことは久しくて、上手くできない。ただ無心で、こいつが悦ぶように撫で上げ続けてやれば良いんじゃなかったのか。何度目をつむって意識も息も殺しても、なお存在を主張して熱を帯びるからこうしてやっているのに。

 こなクソ、と苛立っても萎えさせるばかりで、どうにもならない。"悦ぶように弄る"、それを忘れてしまった今ではそれはそうなってしまうのかも、しれないけれど。

  そんな退屈な手淫が転がされまくった結果、ついにそいつは機嫌を損ねて、ふにゃと張りを無くしてしまう。どうしてやりゃいいんだよ。焦がすような、切ないような。そんなわだかまりが胸の奥、存在しない臓器でつっかえている。奥底に引きこもって見えも表れもしないくせに、血管に脈をたぐらせては感情を熱に変えて、もどかしさなんて薄い膜を張り巡らせて。ただ、その膜の下で熱が膨れ上がっていくだけ。

 こんな青臭い熱を覚えた時。どうしていたんだっけ。どうすればお前は消えてくれたんだったか。壁に身を預けて、ぼおっと熱の元を辿ってみればおぼろげな影が浮かぶ。艶やかな黒髪が、自分の身体の上で弧を描いていた。身体を揺らすとそれはしなって、先で地肌をくすぐる。揺れては、織り糸のような黒髪がまた降りて、そのたびに甲高い声が抑えた隙間から漏れ出たように聞こえる。

 その声に、耳から犯されるように感情が動かされて、あついものが孕んで。撓んでいたはずの欲はいつの間にか息を吹き返し。薄皮一枚隔てていた熱すら気付けば流れ込み始めていくものだから、その膨大な量に理性も溶け始めて。妄想をして身体を沈め始める。その熱を逃したがる犬みたいに呼吸を荒くして、姿勢をより一層に深くすればベッドが軋んで鳴き声を上げる。熱に反応して立ちそぼった、撓んでいたはずのそれにまた手をあてがって捏ね始める。ゆるく弧を描くモノを握って、撫でこすって。目を閉じた。

 

 

 

 ━━━━━━━━彼を、自分の上に乗せている。薄くて、細い身体。同じものとは思えない、そんな身体を乗せて委ねられている。既につながっているらしい秘部は自分よりもずっと温かくて、そのまま蕩けてしまいたい、望んでしまいそうな心地だった。自分が動けば、彼は反応してくれる。首を引き寄せれば、口づけをして。きっと味わうことはなかったはずの、それほどの愛らしいキスが呼吸口を塞ぐ。薄く塞いで、離して、繰り返して。小刻みに食んで触れ合いを愉しむ。空いた手が暇だと喚いて、行き場を求めて彼の身体のあちこちを撫で添っていく。白い肌だった。力を緩くでも込めれば赤みが残ってしまいそうで。脆さが伝わるようで、少し怖かった。

 接吻を止めて、腰の動きを強める。噛み殺して、見せまいとするような彼の素振りと裏腹に、彼とつながる温みはどんどんと増していく。逃げられてしまわないように、押し込む彼の臀部を掴んで、押しとどめて。絡み付く肉壁を擦り上げて、何度もカリ首で引っ掻いて。歯止めのきかないくらい摩擦の往復を強めて、早めて。

 

 ━━━━このまま、抱き潰してしまいたい。手足を抑え付けて、覆い被さって。自分のものに、してしまいたい。

 ひずんだ思いが脳裏を走って、それをかき消す一心に彼を揺り乱して。終わり際、最奥を貫いて、果てる。どく、どくと、内側で脈打って流れる感覚。リビドーを垂れ流して、無理矢理な冷却をされる陰部がだらんと垂れる。消化して、吐き出した熱の一方で、また溜まった熱をゆっくり、深呼吸で調整する。イって、言葉足らずに軽度に痙攣する彼を抱いて。思考を薄めて、頭を真っ白にして━━━━感覚を取り戻していく。

 

 


 瞼を開けば、自分の部屋。そこに彼はいない。温度はなく、生温く手触りの悪い白濁が自分の手を汚すだけ。壁に項垂れて、僅かな光を照って返す、要らないものの象徴をずっと、眺めていた。

 要らないから、当然に生まれない。生まれることも、そのきっかけも在りはしない。弄り終えて用の済んだ、ぶにと転がった陰茎は、その用を済まされる機会すらなかった。今の組織で仕事を始めてから、勃ったことはあったかどうかすら怪しかった。邪魔で弱点にすらなりかねないから、切り捨てようか、なんてどうでもいい考えを浮かべていたほどに、用途は無かった。

 

 彼と出会って、ある部屋に閉じ込められる。その時までは。

 狂い始めた。

 不要とした、ありとあらゆるが呼び覚まされたような感覚で。関わる度に何かが産み落とされて、芽吹いては育っていく。
 命を刈り取るばかりの、死の土壌を彼が狂わせてしまった。
 分かっている。気付いている。このまま彼と関わり続ければ、何が起こるかを。
 誰かを殺すことが怖くなる日が、いつかきっとまたやって来る。
 失うもののなかったからこそ、弱くはなかった人間が、失えるものを持ってしまえば、その先は。

 

 命を抱えながら奪う事ができるほど、器用な人間ではないんだ、俺は。

 

 

 何の影響か、感傷に耽ってしまう自分を馬鹿のように思いながら、手の汚れを拭う。なんと言うのだったか、賢者の時間だったか。しかし滑稽だ。自らを慰めることの末に待つことが、悟りを覚える賢者の時間とは。

 

 自らを慰めると書いて自慰。

 自らを慰めるほど、失意に暮れることを忘れていた。

 自らを慰めるほど、寂しくなったことはなかった。

 

 要らないはずだった。慰めも、こんな感情も。

 「樒」

 彼の名前が不意に漏れる。

 『雨宮』

 彼の、自分の名を呼ぶ声が頭に響く。

 次に会えるのはいつだろう。起きたらすぐ、傍に居てくれればいい。願わくば、彼も寂しいだなんて思ってくれていたら。言葉には、きっと出してくれないだろうな。

 
 そうして目を閉じれば、今度はすぐに、意識が落ちて。夢は、見なかった。