かきごおりのお庭。

企画の小説とか書いていきます.

チェリーブロッサムを飲み干して。

…アラーム。なんの変わりもない、鳴り響くベルの音。いつもなら、特に思う所もなく目覚まし時計を乱暴に叩いてはものぐさに起き上がるのだが。今はなんとなく、それすら面倒に思える。

…これは現実。鬱陶しく感じていた朝の目覚めの感覚が、今は少し愛おしい。あの空間の中のふわりとした違和感は、もう無い。輝かしくも鮮明すぎたその夢は、幕を閉じたのだ。夜は更けて、朝が躍る。あの煌びやかでゴシックなドレスも、そのヤケに締まるコルセットも、苛立つほどに様になる例の性転換ホストも。全て、既に残響となって頭の中だけに残る。

…夢から醒める数分前に、野郎が言い残した言葉が、脳裏に焼き付いている。

 

​───​────────目が、覚めたら​─​─

 

 

「……煙草を一本、ね。」

女のアンタが吸ったとこを見た事ないんだけど。

軽いボヤキを脳内で吐き出しつつ、寝癖のつきまくった頭を掻いて、ベッドのサイドテーブルに置かれたタバコとライターを手に取り、寝間着のワンピースのままベランダへ向かう。カーテンを揺らし入ってくる風が寝汗を凪いで、涼しげで気持ちいい。今は何時だろうか。…どうでもいいか。休みのはずだし。

いつもの煙草を咥えて、火をつけて。少し懐かしくも感じる煙の風味を全身で味わって、吸っては吐いて。夢の中でも吸っていたが、やはり夢は夢だ。現実の重みと感触には程遠い。…まあ。夢にしては、上出来だったが。

何の変哲もない住宅街の、広がる景色に煙が紛れ、立ちのぼる先を眺めながら、長いこと幻想の船中での事を回想していた。

……まさかとは思うが、あの貸し借り。向こうも覚えているなんてことは……きっとない、はず。そもそも夢を共有でもしなければそんな事は起こらない訳で。さらに言えばあの夢をあの状態のまま共有していたとすればそれは……どんな天文学的確率になるのだろう。いや、確率の問題ではない……?他にも見知った顔がちらほら見かけられたような気もするし、そこまで夢の共有の対象が及ぶとすれば………。……駄目だ。これは突き詰めると終わりのこない問題だ。科学者の血が僅かに呻いたような感覚も覚えたがそれは気のせいという事にしておいた。だって面倒くさいし。しょうがない。

寝惚けた頭で思考を巡らせていれば、煙草の灰化が指先のすぐそこまで迫っていた。落ち着いて灰皿の元に手を寄せて、二、三回軽くスナップを効かせて手首を振る。落ちて、積もる灰の色が何となく奴の髪色を思わせる。……病気か。……顔でも洗おう。そうすればこの煩わしい幻覚も少しはマシになる。

そう思ってベランダから足を出したと同時に、来客用のチャイムが鳴る。……いくら何でも、タイミングが良すぎる。そういう狙い済ましたかのような時は大体決まってよく知る彼女なのだが、果たしてまだ彼なのかもう彼女なのか。それが問題。

…気にしていても仕方がない。来客を告げるインターホンのランプを無視して、一気にドアまで歩を進める。意を決して、扉を開ければ。

 

「どちら様ー……、………。」

 

誰もいない。間抜けか。

「やあ。」

と思えば、戸の向こう側からひょこりと顔を出す、長髪の彼女。無事に女の方だ。少し胸を撫で下ろした。撫で下ろすのも正直変だが。

「こんにちは……では無いな、その様子は。おはよう、アシュリー。」

「……おはよ。あー、まだ顔洗ってないから……やめて。……で、いきなりなんの用事?」

いつもの挨拶の頬へのキスを静止して。思い当たる節がありまくるが取り敢えずしらばっくれておく事にした。運が良ければスルーできるかもしれないし。

「なんだ……覚えていないのか?フルーツバイキング。確かに一昨日誘って快諾を得たと思ったんだが……。」

「……忘れてた。ごめん。」

あの船の中で実質二週間ほどを過ごしていたし正直許して欲しい。……が、同じ夢を見ていたはずもない彼女にとってはそんなの知ったことではない訳で。まあ、貸し借りの話を出してこなかったので不安の種は解消された。

「今から準備するわ……。どうせ待たせるし、中上がれば。」

「はは、やっぱり忘れていたな。……ああ。ではお言葉に甘えて。」

…あの船の中の喧騒とは打って変わって、静かな日常。温度差で軽く目眩を起こしそうだ。まあ目眩なんぞ起こしても、やはりこっちの方が居心地がいい。しばらく夢を見るのは、もういい。

 

 

「……ところで、」

 

 

「流石に貸しの事まで忘れた訳じゃないだろう?アシュリー?」

してやったりといった表情でニヤニヤと彼女が笑って言う。夢の中での奴がチラつくようなそんな口ぶりで。

……はあ。まさか本当に同じ夢を見ているとは。誰がそんな奇跡的な事を予測できるだろうか。しらばっくれ続ければ誤魔化せ……れるはずもない。相手はあのノーラだし。誤魔化せても弄られ続ける日々が待っているだけだ。まあ、もういいか。

「……アンタ、意地悪いってよく言われない?」

「……まあ、不本意だが?」

「どの口がそんなこと……。」

呆れた様子で前髪をくしゃくしゃとかきあげて、天井を仰ぐ。

「……ッはーー。覚えてます、覚えてますよ……。…もー。先に支度してくる。」

「なんだ……驚かないのか?つまらない……。」

「そりゃ大体予測はついてたし……。何つまらないって…。」

何故か不満げに敷居を跨ぐノーラを尻目に、ユニットバスへ諸々の手入れを済ましに行く。

何がつまらないだ。驚かせてやろうなんて思っていたのか。……少しモヤモヤする。

…ノーラには悪いが、今日はこのモヤモヤを発散する相手として付き合ってもらおうか。誘われたのは元々こちら側らしいが、だからどうした。夢の中で散々振り回されて此方は鬱憤が溜まっているのだ。ノーラの行きたい所だけでなく、自分自身の行きたい所にも引っ張り回してやろう。猫カフェとか、旅行雑誌漁りだとか、ああそうだ服も買いたい。あとは……貸しの分。最早煙草一本で済ませられては、此方が納得いかなくなった。折角だから、煙草の店を思いつく限りハシゴしてもいいかもしれない。

……もう既に、彼女を今日中に家に帰すつもりはない。目一杯楽しんでやろう。

顔を洗いながらそんな事を考えていると、鏡に映った自分の口角が僅かに上がっていることに気づく。少し腹立たしいが、なんだかんだ彼女と遊ぶのは楽しいものだと、奥底では自覚しているのだろう。……全く馬鹿らしい。

 

 

 

今度は客ではなく、友達として。手を繋いで、皮肉を叩いて、語って笑おうか。気持ちばかりの紫煙も携えよう。

 

 

甘ったるい夢でお腹をいっぱいにした次の日は、少し苦いくらいの現実が、きっと丁度いい。

 

 

 

 

 

 

名×さん宅のエレアノーラ・ルンゲンハーゲンさんをお借りしました。

ありがとうございました。