永久に続け。
3ヵ月。………実に3ヵ月。長く、それでいて短かった。
…そのあっという間の3ヵ月でさえ。彼の記憶を戻すことは叶わない。…戻る訳、ないけどね。僕がきっかけで起きた記憶障害を。僕がきっかけにならなければどうやって治すのか。あれば是非とも聞きたいところだ。まあそれで記憶が戻っても正直複雑な所があるけどね。僕も謝るに謝れない。
…僕ら二人とも、面倒くさい奴らだ。20年近くすれ違い。ようやく想いが通じ合ったと思えば死別。まさかまさかの連続で生き返れば片方は記憶を失くしている。それも、僕との記憶だけ。事実は小説よりも奇なり、だったか。よく言ったものだ。…本当に面倒くさくて、間抜けで、馬鹿な、二人。
だけれども、まあ。そんな些細な関係で収まるつもりもない。最初こそ消えてしまいたいだの、二度と会うことはないだの、思っていたけれどね。だって、ずるいじゃないか、僕ばかりが辛い思いしてるの。アイツが幸せになれるならそれでなんて、考えてたけど。考え方、変えたんだよ。僕の為に生きる。僕の為に、全部、アイツと共有してやろう。アイツを壊す勢いで、僕を注ぎ込んでやろう。全て滴ってしまったのなら、また注いでやればいい。穴が開いているなら、塞いでやればいいさ。
…もし本当に、壊れてしまったら。…さてね。その時はその時だ。どっちかが、消えるだけだ。…どっちも、消えるかもね。…そこまで悲観的に考えちゃいないよ。
………記憶を取り戻させる、方法、ね。威勢だけって感じだ。方法はぽんぽん浮かんでくるけど、そのいずれも現実的ではない。せめて一人、協力者がいてくれたら。やりようはいくらでもできるのに。
そうして家で孤独に頭を悩ませる折、ポストに手紙が届いていることに気が付いた。
開けば、そこには見慣れた字。流れるような綺麗な文字で、短い文が綴られていた。
『君、何をしてるの?早く戻っておいで。取り返しがつかなくなっても知らないよ。』
そして紙の隅に小さく簡素に描かれた蝙蝠。名前は書かれていなかったが、誰が送ったかはすぐに思い当たった。…ちょっと有休、とりに行かないとな。
…数日後、ハイランドの隅っこ。ここに、僕の育った孤児院と、彼の住む屋敷が存在する。
財団、やめてたのか。…知らなかった。会わないようにしてたとはいえ、そこまで情報が来ないものかね。………ていうか、屋敷に行ったらダメだよな。どうするんだ…。
そうして道の真ん中で立ち止まっている最中、何かが掠めていく感触がした。黒い影が、風と共に後ろから飛び去って行く。…あれ、あの人の蝙蝠だろ。前にもあったぞこんなの。…屋敷の方向に向かっていくんだけど。本当にそっちでいいのか。…もう、どうとでもなれ。
息を切らし、門の前にたどり着く。……昔こそ、この屋敷が楽しいものに見えていたのにな…今では、大きな壁のように見える。…心を決めよう。多分、これが最後のチャンスだろうな。なんとなく、そう思う。こういう時の勘はよく当たる。当たってほしくないけど。
屋敷に入れば、カーペットが長く敷かれ、二階へ続くL字状の階段が壁に沿い二つ並ぶ。
…そして。ステンドグラスから射す色とりどりの光に照らされる、長い赤い絨毯の上に佇む、想い人。…いつか見た、幼少期の光景と、一緒。その時から、僕は君に惹かれるように、なったんだったね。
…でもどこか、その様子はおかしくて。虚ろな目で、ふらふらとしている。…ああ、その顔。何度も見たことがある。忘れない。忘れられない。
…その顔は。いつかの君が、忌み嫌った。血に飢えた、吸血鬼の顔だ。
あの人がさせたい事、察したよ。どうも残酷な事、させるんだね…。受け入れるか、受け入れまいか。悩んでいる間に、君は少しずつ、ゆらゆらと不安定な足取りで近づいてくる。…何かをつぶやきながら。
「……めん、ごめんね…。」
…また君は、謝るのか。僕に対して。吸わなければ生きていけないのに。血を吸う事に躊躇いを感じるほど優しい君が、また…。
もう、辛い思いをさせないと。誓ったはずなのに。また。僕は…。やりきれなくて。ただ、君を見つめる事しかできない。ステンドグラスから離れ、君の影が濃くなっていく。今、君はどんな顔をしているのか。それすら、判別がつかなくなっていく。
やがて、吸血鬼は力で僕を押し倒し、抑えつける。初めて血を吸われたあの時と、一緒じゃないか。本能と理性に挟まれ、押しつぶされて消えてしまいそうな君の涙が。僕の顔に垂れる。ひたすらにごめんと囁き続け、その牙を見せた口を僕の首に近づけていく。…好きなだけ、吸えばいい。生きるためだ。………なんて。前の僕なら、思うんだろうか。
もう、嫌なんだよ。君がそんな辛い顔をして、血を吸うのを見るのは。僕が見たいのは、ずっと。君の笑顔で。せめて僕の前でくらい、笑っていてほしいんだ。
吸血鬼が、対象の首に歯をあてがい、血を吸う瞬間。力を抜くその瞬間を見計らって、渾身の力で引きはがす。一人と一匹の構図は逆転する。歯で乾燥した唇を裂き、口づけをする。これでだって別に、血は飲めるだろう。運命のキスとか、そんな綺麗なもんじゃないし、言うならばむしろ絶命のキスだろう。我ながら、馬鹿な事してると思うよ。一歩間違えればまた、死ぬかもしれないっていうのに。でもそこまで考えられなかった。後のことは何も考えてなかった。君に、そんな悲しい顔で、僕の血を吸ってほしくなかった。あのトラウマを、思い起こさせたくなくて。そう思ったら、体が勝手に動いたんだ。本当に。
抵抗する手の爪が、僕の体に食い込んでいく。痛い。もし、君がこれで正気を取り戻せなければ。僕は死ぬんじゃないかな。舌を噛み切られて、エンドみたいな。この口づけしている一瞬の時間が、無限にも感じる。早く、早く終われ。殺すか生かすか、早く決まってくれ。
…ああでも、これがもし最期なら、もうちょっとしてたいかも、しれないなあ。…全く。こんな命の瀬戸際になんでこんな悠長なんだか。僕の悪い癖だ。
僕を掴む手から、力が抜けていく。…賭けには、勝てた?そうして口を離そうとした瞬間。身体が引き寄せられる。口が離せない。息が。気を抜いたのがいけなかった。やばい。
離れようと力を入れていたら急に手が離されて。勢いあまって後ろに手と尻もちをついてしまう。…なんなんだ。そして目の前を見れば。………ああ。いつもの、眼だね。やっぱりそっちの方が、君にはしっくりくるよ。
勢いよく、抱き着かれる。体制崩れてるんだから優しくしてよ。やっぱ賭けには負けてたかなと一瞬不安になる。…けど、そんな不安、杞憂だったようで。笑ってしまう。目を向ければ、泣きじゃくる彼の姿。…泣き虫は、そのまんまだね。…記憶は、どうなったかな。
「…思い出したかい?泣き虫ロゼール。」
「……おもい、だしたぁ…。ごめんなさい…、ごめんあさいぃ…。」
「…ん。…おかえり。…あんまり、泣かないで。服、ダメになっちゃうから…。」
泣き続けるロゼの頭を撫でながら言う。帰ってこれて、良かったね。帰ってきてくれて、ありがとう。もう二度と離れない。離さないよ。何があっても。
「もう、もうどこにも行かないで…。もうやだ、もうこんな思いしたくないよぉ…。」
また、同じ事を言わせてしまった。愛を確かめるために死にかけた、あの時と一緒。
「…うん。うん。ごめんね。…ずっと、ずっと一緒にいるから…。約束したもんね…。…離さない、からね…。」
こっちまで涙出てきそうだ…。ああもう無理だ、出してしまえ…。
「帰ったら、覚悟してよね。いくら僕がきっかけとはいえ忘れるなんて…。絶対許さないから。話したい事、まだあるからね。」
「…うん…、ごめん、ごめんなさい…。ごめんなさいぃ…。もう、忘れないから…。」
そんな風に泣かれたらもう怒れないよ。なんだか不思議と笑えてしまう。
「…え?…まって、帰るって…?」
「…僕の家。…誰も、いなくなっちゃったし。一人で住むには、ちょっと広すぎて。…あ、ここでいいなら別にいいよ?僕はいないけど。」
どうせ、すぐ移住するだろうにね。ちょっと嫌がらせ。
「…その言い方、卑怯だよ…。」
「…まあ。ちょっとした、仕返しだと思って。まだ暫く続くだろうから、よろしくね。」
…いつの間にか、あの人はどっか行っちゃったかな。予想を裏切ってしまってごめんなさい。…でも結果オーライだから許してほしいな。また手紙送っておこう。…怒られるかもな。まあいいか。
「…落ち着いた?」
「…ん。」
「じゃあ、一緒に帰ろう。」
「…うん。あ、待ってその前に…血吸わせて。」
「ああ飢えてたね…。はい。…え、首でいいよね?」
「………いや、やっぱり行っ…帰ってからにしよ…。ちょっと…ここじゃあ嫌だ。」
「え。なんで。…まあいいけど。…立ち直るの早いねえ…。」
「何か言った?」
「何にも。」
「…そう?」
「うん。」
「…ね。」
「うん。」
「…手、つなごうよ。」
「…はいはい。」
その手は、ちょっとひんやりとしていて気持ちよくて。家に着くまで、離れなかった。道中はやっぱり恥ずかしいのか、ちょっと隠し気味だったけど。わざと手を振って歩いたりした。楽しいなあ。ブレスレット、ちゃんと付けてるの見せたかっただけって理由付けした。…半分本当で、半分嘘だけど。
…ふふ。ざっと一年ぶり。君がいなかった一年分。ちゃんと返してもらうからね。一生をかけて償ってもらおう。…僕が生きる限り、ずっと。僕もちゃんと、君と一緒にいるから。約束は、もう破らない。
簪は、来年のクリスマスまで返すのはお預けだけど。精々僕が付けてるのを指くわえて見てるといいよ。
…ありがとう。一度死んだ僕を、見放さないでいてくれて。思い出してくれて。この戻った命は、君の為にある。僕は、そう信じてる。生き返った時、僕の為に生きることを誓った。君の為に生きることは、僕の為と同義だから。この気持ちは、永遠に。